元関脇の荒勢さん死去、タレントでも活躍
(サンケイスポーツ – 08月12日 08:02)
大相撲元関脇のタレント、荒勢さん(本名・荒瀬英生)が11日午前5時54分、高知市内の病院で死去した。59歳だった。
関係者によると、荒勢さんは今年4月に脳内出血で倒れ、東京・広尾病院で緊急手術を受けていた。5月下旬に実家のある高知市内の総合病院に移り、リハビリに専念していたが、不整脈などの病気も併発していたため、10日夜に容体が急変。母、孝子さんら家族に看取られ、静かに息を引き取ったという。
荒勢さんは高知高、日大相撲部で活躍後、大学の先輩、元横綱の輪島さんを追って花籠部屋に入門。1972年初場所で初土俵を踏み、翌73年に新入幕を果たした。相手と胸を合わせてあおるように前に出る「がぶり寄り」を得意技とし、個性的なもみ上げといかつい風貌、ケレン味のない取り口で人気に。お酒が飲めないにもかかわらず洋酒メーカーのCMに出演したり、演歌「何もいうなよ」で歌手デビューするなど、現役時代からタレント活動していた。
81年に引退し、年寄「間垣」を襲名して親方になったが、「部屋付きで、のんびり生きていく生き方は自分に合わない」と83年2月に廃業。同年、五社英雄監督の映画「陽暉楼」で俳優デビュー。以来、NHK大河「春の波濤」や映画「北の蛍」などに出演した。
私生活では、99年に11歳年下の元女優と結婚し、50歳で独身生活に別れを告げたが、関係者によると「4、5年前に離婚した」という。01年に自由連合から参院選に出馬も、落選。06年に脳梗塞で倒れて故郷・高知で療養生活を送り、1度は回復して東京で生活していたが、今年4月再び倒れ、故郷で帰らぬ人となった。
ユニチカフェニックスの佐伯美香選手が、インドアを引退した年、彼女の写真集をつくるお仕事をいただきました。
そのとき、ヤワラちゃん人気の仕掛人だったスポーツ・プロモーターKさんと共に、コーディネイターとしてお世話になったのが荒瀬さんでした。
カラダの通り、デッカいひとで、撮影後にスタッフで北新地に繰り出したときは、新弟子と間違われたオイラの肩を、バンバン叩いて大爆笑してくれましたね。仕事が終わって東京に帰る朝も、分厚い掌をぐいっと突き出して「また、絶対会おうね。そして、また今回みたいに気持ちいい仕事をしようね」と言ってくださいましたね。握手したその掌は思ったよりも柔らかくて優しくて。なんだかハグされたような気分になりました。あ、実際その後すぐにガバっとハグしてくれましたね(笑
3年ほど前に六本木で偶然再会したとき、かわらぬ優しい笑顔を見せてくださいました。
随分、痩せたなぁという印象でしたが、それでも元気に振る舞われていたので、
ご活躍を嬉しく思っていましたが。
残念です。
まだまだお若いのに。
やり残したこともあったでしょうに。
得意技の「がぶり寄り」からガブリエルと綽名をつけたのは漫画家の黒鉄ヒロシ先生でしたっけ。
ホントの天使長になっちゃったんですね。
神さまってココロのキレイなひとを、そばに置いておきたがるものなんですね。
いつの日かまた地上に戻ってくるときには、どうか今回の人生の分もちゃんと
しあわせを取り返してください。
どうか安らかに。