ノスタルジア 時代の狭間の時代へ

script_post_impression,http://tracer.a-cast.jp/entry.js?cid=null&param={adid=null}可能なら、何時代に行ってみたい? ブログネタ:可能なら、何時代に行ってみたい? 参加中

本文はここから

つか、おとといあたりから娘がもらってきちゃった風邪菌にやられて、昨日一日ネットお休みしたら、ランキングがメチャメチャ堕ちてまして物凄いショックでまた寝込みそうになりましたよ奥さん。
1日休むと10000位ぐらいガッツリ下がっちゃうんですね(ですよ
みんな風邪だろうと出張だろうとアメブロだけは欠かさずね、てことなのか?(なのかっ??
日記強迫症ってんですかね。一日欠かすと、いっきにモチベーション下がりますな。
このところブログネタのネタ出しペースがやけに早まってるように感じていましたが、
ある意味、こーゆーヒマネタ的なお題を頂いてないと、毎日書き続けるのは難しいんだよね、きっと。
で、
今日のお題は「何時代に行ってみたい?」っつーもんですね。
昔、SF小説がものっそ好きでタイムマシーンものだと、ハインラインの「夏への扉」が好きでした。
あれは、SFというよりも恋愛小説だったんですけどね。
ジュブナイルSFの名作、筒井康隆の「時をかける少女」もタイムリープものだし、
時間超越って、なにかひとの感受性に訴えかけるものがあるんでしょうね。
あのとき、こうしていればとか
コレから先、こんな風になっていたい(いて欲しい)とか
反省と後悔と夢と希望と男と女、てなことでしょうかな。
たしかに今の世の中、ちょっとオカしいというか生き難いカンジ、しますもんね。
もし、オイラが、どこかの時代に「遊びにいける」としたら、たとえば明治から大正にかけての時代かな。
近代に入って生活の質が向上する中、それ以前の古き佳き文化の薫りも残っている時代。
これは、
大正から昭和にかけて、とか。
昭和初期から昭和10年代にかけて、とか。
戦後から高度成長にかかけて、とか。
10年単位のスパンで括られる、時代と時代の狭間の時期に共通の特徴だと思う。
たとえば、最近なら
70年代から80年代にかけて、や
80年代から90年代にかけて。という括りでも、やはり共通の特徴を見出せる。
しかし、
90年代から2000年にかけて、とか
2000年から2010年にかけて(これは、ちょうど今な)とかって、
この共通項があまり感じられないンッスよ。
これは「失われた10年」と呼ばれる90年代と、
ミレニアム以降の「超不安定な時代」である現代には、
古き佳き前の文化を継承する余裕がないのかもしれません。
あるいは意図的に文化を分断しようとする時代の意思があったのかも。
1000年単位の時代の節目については、
当時いろいろな場面でさかんにアピールされていたので、記憶しているひとも少なくないでしょうけれど
そこで「感性のリストラクチャリング」が行なわれたのかもしれませんね。
以降の監視管理型のネット社会の中で、閉塞感と停滞感、憂世観とアナーキーイズムに、人々の内面は痛め付けられているカンジです。
いつの日か、この2008年を振り返ったとき、「ああ、アノ頃は古き佳き時代の名残があったなぁ」と思い出すことができるのでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です