いまどき新聞をとるということ

先日、保育園の先生と会話していたときのことですがね、奥さん。

市報って、新聞を取っていない家庭では読めないのだそうですね。

オイラがまだチビッ子だった昭和の時代は、

向こう三軒両隣の隣組という制度があって、

地域の情報は回覧板をまわしてお知らせしてくれたわけで。

♪トン トン トン カラリンと となり組♪なんて歌なんかもあって、

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思えばアレってけっこう優秀なシステムだったと思うんです。

まず、防犯の観点から。

回覧板持って行った家が留守だったりすると、

郵便の受け取りや不意の来客を応対してあげたりして、

不審な人物の侵入は、ある程度防げました。

つぎに、社会教育の観点から。

回覧板はその家で、その時間もっとも自由な(ある意味ヒマしてる)ひとが持っていくので

いきおい子供が持ってくことになってました。

当然、はじめてのお使いもまた回覧板だったりして。

おやつ時に行くと、行った先の家でお菓子のお駄賃をいただいたり、

おすそわけの使いを頼まれたり。

そこで、ひとからの施しに対して、きちんとお礼をいうことと、

約束を果たすことを学ぶわけです。

そして、コミュニティの観点から。

ある日、ご近所に回覧板を持って行く途中、幼馴染のお母さんとかに

「あら、ちょっと見ない間にすっかり立派になって!」と声をかけられる。

あれこれ話をしていると、どうやらその家のお姉さんがお年頃で、

自分ちの兄と年恰好もぴったりだし、まんざら知らない顔ぢゃないし、

とりあえずくっつけてみてはどうか、という主旨に話が進んでいく。

こうなると迂闊に引きこもってもいられないわけでして、

案外、地元ネタで盛り上がれることの気安さも手伝って、

さっさとなるようになるひとたちがけっこういたわけです。

そうやってみると、

個人情報保護がナチャラカンチャラどーのこーので、

保育園でも下駄箱やロッカーに名前を書かないで

目印のアイコンを使うので、

天音ちゃんの仲良しさんたちの名前がしばらくわからなかった

なんて不自由さを味わっているオイラからしてみると、

昭和コミュニケーション復活させて欲しいものだなぁと思うのですよ。

どすかね、ニート&ひきこもり対策や少子化対策の施策として、

地域回覧板、復活させてみては? 案外、有効かもしれませんぜ?

だめ??

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